午後8時30分45秒

「ちょっと出掛けるわ」
「どこに?」
「薬局。」

 最近の薬局は夜遅くまで開いている。上杉が綾瀬を住まわせているアパートの側にも勿論薬局はあるわけで、頭痛持ちの上杉はよく鎮痛剤を買いに出掛ける。履いたスニーカーの爪先で玄関のコンクリートを叩く上杉、を、携帯の画面を見る視界の端に入れながらキーを叩く綾瀬、は、突然「あ」と声を上げ携帯をパチンと閉じた。

「上杉ー」
「んあぁ?」
「妊娠検査薬買ってきて」
「は?何それふざけてんの」
「ふざけてねえよさっさと買ってきて」

 今日ほど惨めな日は無いと上杉は思った。頭痛薬を買いに行くのに頭痛を作ってどうするんだと自問自答を繰り返すとますます頭が痛む事に気づいた上杉は考えるのをやめた。薬局の自動ドアがゆっくりとした動きで開く。店員がやる気のない声で「らっしゃーせー」とか何とか言いながら品出しをしていた。上杉はますます頭が痛くなった。
 籠に頭痛薬、ボルヴィックを放り込んだ上杉はぎこちない動きをしつつ辺りをきょろきょろと見回した。綾瀬に言いつけられたものを買わなければならない。そういえば以前生理用品を買ってこいと言われた時もこんなような動きをしていた、と、半ば他人事のように上杉は思う。粗方見て回ってみても見つからないのは最早彼にとって嫌がらせであった。上杉はみじめな男だった。
 結局彼が検査薬を見つけたのは5分後で、それはコンドーム売場の隅に縮こまったように陳列されていた。上杉にはそれが皮肉のように思えてならなかった。商品陳列をする店員が「さっさと帰れ」というオーラを放っていたことやレジのおばちゃんがニヤニヤしていたことは、店を出て頭痛薬を飲んだら忘れてしまった。

「ふんふん、陽性が出たら妊娠な訳ねー」

 パッケージの端的な説明文を左から右へ、右から左へ上杉は何度も読み流す。陽性が出たらやっぱり綾瀬は堕ろすんだろうか、だとしたらすごく悲しいことだ。居るのかどうかも分からない綾瀬の腹の中の赤ん坊に上杉は思いを馳せる。
 そうやって帰宅して、玄関のドアノブを回そうとした時、上杉はコンドームを切らせていたことを思い出した。(皮肉だ)