タブレットを叩く音が喧しい。液晶と爪が触れ合う音だ。いや触れ合うと言うほど生易しいものではない。壊れやしないかと不安になる程だ。自身のデスクで仮眠を取っていた狡噛は眉間に皺をよせ、音の主を見遣った。半ばヒステリックにタブレットを叩く朱を。 朱は時折舟をこぎ、はっと気付くと頭をぶんぶん振ってはタブレットを打ち込む、それを繰り返している。なにしろ立て続けに事件が起きたので彼女に眠る暇はなく、もう40時間ほど連続して起き続けている。一睡もしていない彼女には、テンプレート化された報告書と始末書に打ち込みを済ませることすら随分と辛そうだった。 狡噛といい、宜野座といい、他の執行官といい、ある程度手を抜く方法というものを身に付けているが、要領はよいが手抜きを知らない新人は一から十までやってしまおうとする。真面目な事だなあと狡噛は生欠伸をした。 「そろそろ仮眠でもとったらどうだ」 「はあ、あとこれ一枚だけ……」 「フラッフラだぞあんた」 「いえ、ほんと、あと一枚だけ」 確かその台詞を聞いたのは三度目だったと狡噛は記憶していた。 「頑張れるのは若い証拠だ……羨ましいね、全く。でも無理はするなよ」 「大丈夫です、無理はしてません」 「そうかい」 生欠伸を噛み殺した狡噛は、胸ポケットに捩じ込まれた煙草を取り火をともす。目が冴えてゆく感覚が狡噛はたまらなく好きだった。つい先日まで狡噛が煙草を吸う度に煙たそうにしていた朱も、最早慣れてしまったようだった。 「私、最近分かってきたんですけど、煙草のけむりも、匂いって、全然違うんですね」 「そりゃあ、そうに決まってる。味が違うんだから」 「狡噛さんの吸ってるそれと同じの、たまに、街中で嗅ぐときがあるんですよ。そしたら、あー、狡噛さんの匂いだなー、って」 「ふぅん、可愛い事を言ってくれるんだな、監視官」 「変な意味とか、じゃ、ないですよ。うーん、ただ、なんていうか。」 エンターキーを叩き、大きく伸びをして、朱はようやく手を休めることとなった。タブレットとディスプレイの電源を切る所作はどこか軽い。狡噛の目を気にすることもなく大きく欠伸をして、それから朱はデスクに突っ伏した。 「ただ、何だ」 「あー、ああ、ただ、ただですよ、私、そんなに煙草のにおい、嫌いじゃないかもしれません。狡噛さんのにおい。うん、今度私も、ちょっとだけ、吸ってみたいかも。そしたら狡噛さん、煙草もらってもいいですか」 伏せてしまった朱の言葉はくぐもっていた。もしかしたら朱の顔は赤かったかもしれない。 朱はそのまま寝息を立てはじめてしまった。すうすうという呼吸音とともに子供のような小さな肩が上下している。その肩にコートをかけてやって、随分短くなった煙草は灰皿にすりつぶした。 「……お好きに」 胸ポケットに捩じ込まれた最後の一本は彼女のために。 2012-10-27 23:56 |