初恋

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 喜多川祐介は自身の美しさにはっきりとした自覚を持っていた。
 師に幼い頃より付き従い出歩いていた彼は、まず初対面の大人達に「顔立ち」を褒められる。「聡明な顔だちをしている」、「絵画のよう」、「美しい」、そして「まるで少女のよう」。一切の過不足なく、祐介はまさにそのような少年であった。しかし彼は「少年」であったので、その“褒め言葉”に嫌悪感を抱かなかったと言えば嘘になるだろう。容姿よりも作品を褒めてほしいと願った事も決して少なくはない。
 そのままならさを小さな体でキャンバスにぶつけ、作品を描き上げたこともある。小さなコンクールではあったが、その作品は優秀賞を与えられた。
 幼かった祐介の中で、繰り返された“褒め言葉”と昇華体験は、次第に彼をある確信へと導いた。――きっと僕は、男の子だからとか、女の子だからとか、そういった物と縁がないところで、どちらにもならず、絵を描くためだけに生きることができるんだ。僕の女の子みたいな顔だって、神さまがそう言ってくれているに違いない――。
 祐介にとって自身の美しさとはつまり、自身の芸術を後押しするツールのひとつだった。背が高く伸び、手足の関節が骨張り、喉仏が皮膚を押し上げ、声に男性特有の厚みが帯びようとも、祐介はその『確信』に少しの疑問も持たなかった。男にも女にも恋心を持たず、芸術こそが自身の恋人で生涯の伴侶であると、そう信じていた。
 そういった経緯で自身の美しさに強い自覚を持った祐介は、また描く対象としても美しさを求めた。心を揺さぶる青空、胸を締め付けるような夕焼け、ヒトの手に寄らない美を備えた自然たち、……祐介は自身の感性が命ずるままにあらゆるものを描いた。しかしどれほど描き上げても、「違う」のだという想いが募った。
 やはり人間を描かなくてはならない。サユリのような女を、祐介は描かなければならなかった。そうでなければ、自分の美しさなど意味がないのだと。
しかし彼は、自身の作品の原型として女を求める限り、自身の『確信』がいずれ打ち砕かれることに、気付く事はできなかった。その日までは。

「……で、おイナリさー、最近絵描いてないんだって?」
「……あ、えっ、何の話だ」

 はっと気づいたように顔を上げた祐介に、双葉は呆れたようにため息をつく。啜っていたストローを指でぴんと弾き、祐介の額もまた、そのように弾いた。

「いて」
「深刻な話だからって言ったのお前だろぉ」
「すまん」

 一方、祐介のコーヒーカップは中身が少しも減ってはいなかった。「冷めるぞ」と双葉が小突くと、祐介はようやく一口含んだが、それを味わう余裕すらもないようだった。
 窓を打つ雨の音が、ルブランの店内を満たしていた。そしてその店内で、祐介と双葉の二人だけが、カウンター席に並んで座っている。二人に飲み物を出し、店主は気を利かせ「買い出しに行ってくる」と10分程前に出ていったばかりだ。二階を住居とする少年はアルバイトで帰りが遅いと言う。つまり二人にとって――『どれほど居心地が良かろうが悪かろうが』、助け舟を出してくれる人間は一人もいないことになる。
 暖かな白熱灯に照らされているにもかかわらず、祐介の肌ははっきりと分かるほどに、浮くような青白さでもってそこにあった。病人のようなその色に、双葉は一瞬眉を顰める。彼女は頬杖をついて、祐介をじいと眺めてから、小さくため息をこぼした。

「お前メシちゃんと食ってるのか?」
「ああ、まあ、……そこそこには」
「本当かぁ?まるで病人みたいだぞ、なんかやつれてるし」
「ここ数日あまり眠れていないんだ。そのせいかもしれない」

 祐介は目頭を抑え揉んだ後に、首を何度か捻って見せた。首を捻ったり、回したりするのは彼の癖だったが、その動作は普段よりも重たげで、しゃんと伸びた姿勢の彼を知る人間ならば、彼の参りように気の毒さを抱くに違いなかった。

「……その眠れない原因ってのが、絵が描けない原因で、『深刻な話』?」
「まあ、そうなんだが」
「でもそういうの……相談相手っていうの?ウチのリーダーのほうが向いてると思うぞ。他にもリュージ……は駄目か。駄目だな。ほら、杏なんか聞き上手そうだし、真とか、春も年上だし、頼りになるだろ。なんならソージローに、」

 双葉の『あまりにも合理的な』言葉に、祐介は困ったように眉尻を下げ微笑んだ。そして特に答えるでもなく、再び珈琲を口に含んで、ゆっくりと嚥下した。
 そんな祐介の表情に双葉は言葉を詰まらせ、何も言えないといった様子で、「まあ、いいけど」……と濁すように呟く。そして最後まで言えなかった言葉を誤魔化すように、ストローでグラスの底の氷をかき回している。

「……まー、スランプってのは誰でもあるモノじゃないのか?今は少し休む時なんだろ」
「ああ、いや、それなんだが、心当たりはあるんだ。その、原因に」

 祐介は何か迷うように、何度も指を組んでは離したり、飲むわけでもなくコーヒーカップの持ち手にふれてみたりしている。まるで動きに落ち着きがない。普段真っ直ぐにものを見ているまなざしも、いまいち視点が定まっていなかった。
 そんな祐介を双葉はからかいはしない。ただ少しの気まずさと戸惑いに、祐介に向けていた視線を手元に落としていた。

「俺が思うに――俺が絵を描けなく――いや、絵を描かなくなったのは――、……お前が原因なのではないかと思っている」

 氷をかき回す双葉の手が止まる。

「……おいおい、自分のスランプを人のせいだって?見損なったぞ」
「まあ待て。話を最後まで聞いてくれ」

 祐介は言葉を選んでいるようだった。
 口を開いて続きを紡ごうとしては、そして小さく唸ると再び閉口する。まるで気が滅入っているようだった。組んだ指は相変わらず、より所が分からないといった様子でしきりに動いている。
 そんな事を何度かくり返し、やがて祐介は、あきらめるように首をゆるゆると振って、その続きを吐き出した。

「無意識にお前を目で追っている事に気づいたのは二週間程前だ。そしてその日から、何かを描きたいという欲がどこかへ押しやられて、その隙間で俺は立ち往生しなければならなくなった。とても苦しかった」

 その口調はあくまで淡々としたものだ。感情的でない、冷静に事実を語るような様子で、しかしどこか、罪を告白するさますら感じさせるような、そんな語り口だった。
 双葉は祐介の吐露に、こめかみのあたりをぼりぼりと掻いて困ったようにしている。その頬は僅かに朱が刺していたが、それに祐介が気づいた様子はない。それどころか、おそらく双葉本人すら気づいてはいないだろう。

「……おイナリ、お前が何言ってんのかちっとも分かんない」
「分からないか?そうか」

 拗ねた子供のような声色を孕んで言う双葉に、いや、分からなくて当然か――俺でさえもよく――ふむ、ならば仕方ない――そう独りごちて、祐介はひとつ咳払いをした。そして落ち着きのなかった手を握りしめ、双葉に向き直る。

「お前が好きだ」
「は」

 双葉から間の抜けた声が漏れる。一瞬、祐介と合った視線は、すぐに逸らしてしまった。

「な、なぁんだそれ、は、意味わかんないし」
「そのままの意味だ」
「あ、わ、わかったぞ。仲間としてスキダーって奴だろう。お前、わたしを驚かせて楽し」
「異性として好きだと言った。男としてお前が好きだ。お前を女性として魅力的だと思っている。劣情を催していると言っても過言では」
「お前バカじゃないのか!そこまで言えなんて言ってない!」

 今にも椅子から転げ落ちそうな勢いで、双葉はカウンターテーブルを一発強く叩いた。落ち着けと宥める祐介に、「お前のせいだろ!」と悲鳴のような声を上げる。火照った頭を冷やす為だろうか。耳まで赤くなった双葉は、グラスを雑に掴み底の氷を口に流し込んで、ぼりぼりと齧った。慌てたためか氷の欠片がいくつか口からカウンターへこぼれ落ちている。汚えと叫びながらモッズコートの裾でカウンターを擦る様子は、あまりにも間が抜けているとしか言えない。

 そんな様子の彼女でさえも、祐介はまっすぐにまなざしを向けていた。それは普段彼がキャンバスに向かうまなざしそのもの、あるいはそれ以上の真剣さを纏ったものだ。
 おちゃらけた態度では逃してくれそうもない彼に、双葉は身を縮めるしかない。双葉がグラスを置くと、既に半分近く溶けてしまった氷がコロンと小さく鳴った。

「おイナリはわたしのどこがよかったの」

 双葉がぽつりと呟く。気恥ずかしさを散らすためか、前髪を何度も弄ったり、長く背に垂れた髪を手で漉いたりしている。視線は祐介に向くことはなく、手元のグラス、カウンターに薄く入った傷、などを、ふらつくように眺めていた。

「正直な所、よく分からん」
「何だそりゃ」
「ただ、見ていて面白いだとか、そういう気持ちはある」
「お前な、それはどう」
「あともうひとつ」

 遮って、それから祐介は深呼吸をした。

「お前が俺のことをどう思っているのだろうだとか、俺は嫌われていないだろうか、とか、それが気になっていることは、間違い、ない」

 僅かに震えている祐介の声に、双葉はようやく顔を上げ彼を見た。彼は自身の紅潮した顔を隠すように、肘をついて手で顔を覆っている。空いた片手はコーヒーカップを掴んでいたが、中身はやはり、あまり減っていないようだった。

「参った。さっきから珈琲の味が分からん」

 祐介の言葉に、落ち着きつつあった双葉の顔色がふたたび赤みを帯びる。最早溶けつつあるコップの底の氷を、ストローで追う事はもうやめていた。はあ、と大きく息をついた双葉は、観念したと言うように『自供』する。

「……き、嫌いなヤツ、と、二人きりで喋るわけ、ないだろ」
「それはどう受け取ればいい」
「う、るせー、バカイナリ。自分で考えろ」

 祐介は照れくさそうに頬を掻く。

「……こんなにも恋が苦しいなら俺は男なんかになりたくなかった」
「わたしも女になんかなりたくなかったよ」

 彼女の絵を描いてみたいと、祐介はそう思った。