モラトリアムを蹴り飛ばす

※捏造10年後

 見るもの全てが何でもきらきら輝いていたあの頃から、もうどれほど経っただろうか。きらきらしていたものが歳を重ねるにつれくすんで見えるようになり、いつからか興味の対象ですら無くなってしまったのは、妥協だとかそういう物を覚えてしまったからだ。大人になるということは、もう一度生まれるということなのだろう、と、真田は三十路間近になりようやく気付き始めていた。
 真田は今警視庁の警備部に勤務している。強くなりたい、誰かを守りたい、そう願っていた真田にはうってつけといえばうってつけである職場だった。やりがいもある。命を落とすことさえある危険な仕事だが真田はもう、自身は一度死んだものだと思って生きているから、もし死ぬことになったとしても真田はあっさりと受け入れるだろう。真田なりの『こたえ』が、それだったのだ。

 真田は洒落たバーやレストランなんかより、油でぎとついたような机が並ぶ狭い居酒屋の方が好きだ。彼の親友である荒垣もそれは一致していて、たまに暇を見つけてはそういう所で酒を飲んでいる。いつも真田が先に来て、カウンターの隅っこに座って荒垣を待っているのだ。

「よう、アキ」
「よう、シンジ。遅かったな」

 始めは「似合わないな」などと言って笑っていたスーツがすっかり様になってしまった荒垣。ネクタイを弛めビールを一杯頼むと荒垣は真田の隣へ座った。

「体調はどうだ?」
「悪くはねぇな。まだまだ死なないだろうよ」
「それはよかった」

 荒垣に残された寿命は圧倒的な程に短い。十年、運が良ければ二十年、それだけ生きられれば上等だろうと医者は言った。荒垣は自身に残された時間を、今懸命に生きている。生きなければならない。真田はそんな荒垣を、少し羨ましく思う。

「なあ、シンジ、最近俺な、思い出すんだ。色々な事を。」

 真田の顔が紅潮している。先程から何杯も何杯も酒を煽っている真田を、荒垣は咎めもしないし止めることもしない。『そういう気分』が何となく分かるから、真田のやりたいようにさせてやる。ただ耳を傾け話を聞いてやるだけだ。

「例えば夏の陽射しの中を走り回った事だとか、かき氷を食った事だとか、珍しく雪が積もった冬に、雪だるまを作ったことだとか、……あいつが生きていた頃の事だとか、そういう綺麗な思い出をさ。思い出すんだ」
「そういう気分になる時期なんだ。あまり気に病むな」
「分かってる。分かってるんだ。だがシンジ、たまに思わないか。何で俺達は生きているんだ。……俺はあいつが生きたかった分を、生きてやれているのかが不安になる。だから俺はお前が羨ましい。俺は懸命になれないんだ」
「アキ、自分を責めるなよ。頼むから。あいつが悲しむ」

 「ああ、そうだ、そうだな。すまん。」真田の瞳に涙が滲む。真田は悲しくて悔しくてたまらなかった。いくらアルコールを飲んでも悲しくなるばかりで、一体どうすればいいのかが真田には分からない。まるで子供に戻った気分だった。これは酔ってしまったからだと真田は自分に言い聞かせ再び胃袋にアルコールを流し込む。

「全くどうしたんだ俺は。酷く叫びたい気分だ……ああ、もう酒が無い」
「酔い潰れても運んでやらねえぞ」
「ひどいな」

 真田はようやくへらりと笑ってみせた。あの日からもう十年になる。真田は大分丸くなり荒垣はよく笑うようになった。十年は長い。真田と荒垣はこれから先、何年何十年と生きてゆく。
 十年前に置き去りにできなかった感情は、いつまでも二人にまとわりついて離れない。