無題(ゆか♀主)

 じりじりと肌が焦げそうな真夏の日は公子から体力を奪ってゆく。日陰にて携帯電話を弄りながらオレンジ色の柔らかいタオルで額の汗を拭い、スポーツドリンクを喉へ流し込む。汗染みなんかが出来たら嫌だなあとそんな事を考えながら、公子は体育館に併設された弓道場を眺めていた。
 僅かな隙間から栗色の髪が揺れるのが見えると公子はとても嬉しくなる。胸が高鳴る。そうして、少しだけ気持ちに靄がかかる。不思議な気分にさせられてしまうのだ。

「ゆかり、お疲れ様」

 スポーツバッグを抱えたゆかりは公子を視界に捉えると目を丸くした。直後、表情を崩し明るく笑う。

「待っててくれたんだ」
「うん。一緒に帰ろ」
「あ、じゃあ駅前でかき氷食べて帰ろっか?私の奢りで」
「やった!ゆかり大好き!」

 抱きついたゆかりからは僅かに制汗剤の香りがした。ゆかりが好みそうなシトラスの香り。女の香り。いくら男が同じ制汗剤を使ったとしても、同じシャンプーやボディソープを使ったとしても同じ香りにはならないのだ。頭がくらくらしそうになるのを抑え公子はおどけて笑う。

 夏の日は長い。それ故に、辺りがすっかり暗くなるころにはもう時刻はそこそこな時間を回っていて、あっと言う間に風が冷えるようになってくる。散々お喋りを楽しんだゆかりと公子は、気持ちいい夜風に吹かれながら街灯に照らされて路地を歩いていく。

「私、公子の事好きだなあ」

 突然だった。ゆかりは可愛らしくにこにこ笑いながら公子にそう言った。自身の心臓が跳ね上がるのを公子は確かに感じた。世界が静止したかのようにさえ思えたその一瞬もゆかりは無邪気に笑っている。

「公子は私の事好き?」
「す、好きだよ!」

 情けなく裏返った声をゆかりはどう思ったろうか、公子はそれが恥ずかしくてたまらなかった。ゆかりが言う好きは「ライク」であることを理解してはいるのだが、どうも公子にとっては照れてしまって仕方がない。ゆかりに「ラブ」寄りの感情を抱いているためか、あまりこういう事に慣れていないためか、理由は公子自身にも分からない。ただおそらく前者であるということは何となく感づいてはいたのだった。

「じゃあ私たち両思いじゃない?」
「あは、そうだ、ね!」

 (ああ、くそ、不意討ちなんて卑怯だよ)公子の心に靄はますますかかるばかりである。