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もしふたりが同級生だったらの話
捏造しかありません
神取鷹久の野望は未読です
P4GAの足立の過去話はあまり考慮していません
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足立透が記憶する限り、『彼』はまるで完璧を体現したような少年だった。
『彼』との一番古い記憶は高校の入学式だった。足立にとって入学式などという行事は、べつだん深い思い出があるわけでもない。ただ『彼』が壇上に登り、新入生の挨拶を述べるべく、口を開いたその瞬間が、足立の記憶には残っていた。
「気に食わない。許せない」。記憶にはその深い嫉妬とも呼ぶべき感情が付随している。『彼』の自信に満ち溢れていながらも、俗臭さを感じさせない、高校生らしからぬその諦めにも似たまなざしが、足立には気に食わなかった。当時足立は決して出来の悪い子供などではなく、むしろ、そつなくこなす優秀な子供と呼んでも差し支えはなかった。彼自身、自分の優秀さを当然のように理解していたし、それなりに努力も重ねていたし、そしてそのようにふるまっていた。しかし『彼』を目の当たりにした時、あれは自分がなれなかったものだと、足立は一瞬で知ってしまった。「あれ」を憎まなくてはならないのだと。会話を交わしたことさえない『彼』に、嫉妬と深い憎しみを込めたまなざしで、彼を呪ったのだ。
しかし『彼』と足立の縁は、これ以降三年の春を迎えるまで一切結ばれることはなかった。クラス委員会も違う二人は、全くの赤の他人として学園生活を送った。生活を送るうち、足立の記憶からも『彼』の事はすっかり失せていたのだ。だが三年に進級した春、足立の前にまた『彼』が――今度は以前よりもずっと近い距離に――現れることとなる。
足立にとってそれは悲劇だった。『彼』――神取鷹久が、クラスメイトとして現れたのは。
端的に言うならば神取鷹久は多くの生徒のあこがれだった。彼の口から語られる言葉は雄弁で、知的で、だがほんの少しだけ利己的で、それがいっそう支持を深めた。勿論すべての生徒の支持を得た訳ではない。しかし彼らは、当然のように特別優れた存在ではなく、そして悲しいかな、その自覚があった。ゆえに声を上げることもなく、関わりをもたないように、大多数の「凡庸たる生徒」として、神取鷹久にとって――あるいは学校とって、毒にも薬にもならない存在として過ごしている。
だが足立は、その凡庸たる生徒の一員にすらなれなかった。彼には凡庸と呼ぶにはやや余る優秀さがあり、そしてそれなりの自意識があった。しかし神取鷹久と出逢って『しまった』彼の劣等感と自意識は、日に日に膨れ上がった。足立はその醜く膨れた心の汚物をつとめて隠したが、隠しきれていたかどうかは定かではない。
そうして春が過ぎ、夏が訪れた。夏季休暇を二週間先に控えたそんな季節に、足立と神取の奇妙な縁が決定的に繋がる出来事が起きた。
「足立君、きみ、まだ残っていたのか」
机に突っ伏したまま眠りこけていた足立は、その言葉で飛び上がるように顔を上げた。寝ぼけ眼であたりを見回せば、教室は焼けるような夕日の赤に満たされている。彼自身一体何時から眠っていたのか思い出す事もできない。
ああしまったと足立は頭を抱えそのまま掻き毟った。眠りすぎてしまったという後悔ばかりではない。彼に声をかけた人物が問題だった。
「下校時刻は過ぎているよ。大丈夫?」
「……べつに、君には関係ないだろ」
駄々をこねる子供のように答えた足立を、神取は鼻で笑ったようだった。しかしどこかへ失せることもなく、足立の隣の席の椅子を引くとそこに座り、何も言わぬままじっとしている。足立が抱えた頭をゆっくりと上げ見遣ると、神取は頬杖をつき、『あの』まなざしとはまた違う―― 蠱惑的ですらあるいろの“それ”で、足立をじっとりと眺めているのだった。
足立は咄嗟に目を逸らした。なにか彼に嘘を付いているわけでも、誤魔化しがあるわけでもなかった。だが神取の見透かすようなまなざしに、到底耐えられようもなかったのだ。逸らした目線の先の、差し込む夕日をぼんやりとみつめながら、足をぶらぶら揺らして見せたりして、なんとか「ごまかし」を誤魔化した。
「君はなんでまだいるワケ?生徒会長サマのお仕事?」
「鷹久でいいよ、足立君」
みんな、そう呼ぶんだ。無感情に吐き出された言葉だった。足立は相変わらず神取に目を向けることはなかったが、少し不愉快そうに机の足を蹴った。
「あのさあ、『神取鷹久』くん、僕と会話しようよ。君っていつもそう」
「そう?僕、きみとまともに喋るのは初めてだと思うけど」
ぎくりという擬音が本当に存在して、それが心から飛び出る音ならば、足立の心からは今まさにその音が出たに違いなかった。
何とか取り繕わなければ。日が落ち涼しくなり、少し引いていた汗がふたたび一気に吹き出す。足立が今冷静だったならば、からかわれているのだとすぐに理解できたはずだった。だが今の彼には余裕がない。まるで尋問を受ける罪人だ。まさか足立に言えるはずもない。言葉にすれば恋のような、だが真実は憎悪の塊のような、そんな事実は――。
だが暫くもたたないうち、神取は悪戯っぽくくすくすと笑って彼を開放した。
「まあ、そんな事はどうでもいいか……ご察しの通り生徒会の仕事だよ」
「……フーン。一人で?」
「いいや、五組の××さんと」
「へえ……」
足立はつとめて感情を出さぬよう相槌を打つ。彼は××という名前に覚えがあった。何を隠そう足立自身が一年の時に告白し、ごく短い間だが付き合った女である。ゆえに、名前が出た瞬間、足立は反射的に神取に目線をうつしてしまった。
不気味だと足立は思った。この男は一体何なのだろう。この、足立に強烈な感情を抱かせた男は。まるで先ほどから何もかもを見透かしているようだった。見透かした上で、自分を褒めそやさない存在に対して向ける『それ』ではないまなざしを向けている。
そして、
「足立君は××さんと何回寝た?」
先ほどまで小脇に抱えていた紙束の端を、指で擦るように捲って暇を持て余すようにしながら、何気なく、まるで今日食べた昼食について話すかのように、神取は言った。
「は………あ?」
まさに目を点にして、足立は間抜けな声を漏らす。神取は冗談を聞いたようにくすくすと笑っているが、その眼は歪な三日月型で、おもちゃを見つけた子供そのものだった。
「彼女、何を勘違いしたのか僕の恋人気取りだったのだけれど、……でも『あの女はだめだ』な。きみもそう思うだろ」
「いや、あの、何、ソレ、なんて答えればいいわけ」
「そう思わないなら、思わないと答えればいいだけだよ」
答えられるはずもなかった。なぜならその、神取の口から吐き出された言葉は、××から別れを切り出された時、足立自身が彼女に向けて心の中で吐いた呪詛の言葉そのものだったからだ。足立が付き合った女は後にも先にも彼女だけだった。彼はうまく異性と関係を築けない男だった。それすらも見透かされているのではないかと、それが足立には恐ろしかった。
苦し紛れに彼はおどけたように笑ってみせた。そんな足立が、神取の目にどう写ったかはさだかではない。だが、普段、闇を吸い込んだような色をしているその目は今、不思議と夕焼けを思わせるぎらつきを伴って足立を見据えていた。
「……あはは、僕と君って、結構似てるのかもね。僕、神取君がそんな奴だったなんて知らなかった」
「そうだね。似ているんだ、僕達」
その声色は、冗談を言う“ふう”でも何でもなかった。
「足立君。僕はずっと、誰よりもきみと友達になりたかったんだ。僕と友達になってくれる?」
足立はその問いに、ことばで答える事も頷くことも出来なかった。
ただその日から、恋焦がれにも似た憎悪を抱いた相手と足立の、奇妙な友情が始まった。『普通の友人』のようにどこかへ遊びに出歩くことも、『普通の友人』のように日常的につるんだりする事も無かった。ただ二人は、日が落ち人がいなくなった教室で、ごく短い時間話をする。勉強のこと。腹が立ったこと。趣味のこと。そしてつまらない冗談。普段、彼らがそれぞれ持つ『普通の友人』達と比べれば、共有する時間はほんとうに些細な物だ。
だがその些細な時間の間、彼らは間違いなく友人だった。足立の抱える嫉妬と憎悪が消えうせる事はなかったが、それでも彼らは無二の友人だった。
――結論を言えば、その関係は永遠のものではなかった。神取はふたたび、足立が「なれなかったもの」として、彼の目の前から去ってしまったのだった。
神取がイギリスへゆくという事実を足立が知ったのは、神取がまさに今空にいる時だった。足立は何も教えられなかった。遠くへ行くということだけは、曖昧にはぐらかされつつ聞いていたが、異国の名門校を目指し旅立つという事はなにひとつ聞いていなかった。卒業式が終わった矢先の出来事だった。
卒業式でことばを述べた神取は、入学式の頃以上に洗練され、陳腐さすらある感動的な言葉でたくみに生徒や父母の心に入り込み、涙を誘った。敵わないなと、足立は素直にそう思った。彼は自分が何を求められているのかよく知っている。足立のように。
だがその感心は、彼と神取が友情を結んでいたからだ。神取がどう考えていたのかはともかく、少なくとも、足立にとっては間違いなく友情だった。
裏切られたと足立は思った。彼の中の友人とは、突然自分の前から何も言わずいなくなる者を指す言葉ではない。自分は彼の暇潰しにすぎなかったのだと確信してしまった。それは、なりをひそめていた憎悪と嫉妬を足立の中から引き摺り出すには十分だった。それから十年ほどを、足立は何彼につけ、劣等感に苛まれながら生きていかなければならなくなった。
神取とふたたび出会ってしまう事になるその日までは。
足立は同窓会などという行事に気が向くようなたちではない男だ。故郷を離れ暮らす彼が、安くない交通費を払って行く価値はないと考えている。折角来た招待状も、返事を出すこともなく破り捨てるつもりだったのだが、ある日見つけた――いや、見つけてしまったと言うべきか。普段は乗らない電車の中吊り広告に、偶々、ある経済誌の見出しが張り出されていたのだ。
――“SEBEC新支社 支社長に若き鋭才・神取鷹久氏就任”その一文は、足立の重い腰を上げさせるのに充分だった。――あいつは日本にいる。
だが期待はしていなかった。SEBEC(セベク)、佐伯エレクトロニクス&バイオロジカル&エネルギーコーポレーションといえば、近年急速に業績を伸ばし、日本でも有数の大企業へと成長を遂げたことで有名だ。はたしてそんな会社の支社長が、高校の同窓会なぞに律儀に来るものだろうか――。そもそも彼にも招待状が届いているかどうかすら分からない。なにしろ彼の高校卒業後の足取りを知る者は皆無だったのだ。
だからこれは賭けと言ってもいい。足立自身、内心「出会わなければそれでよい」とさえ思っていた。ただ、もし叶うのであれば、自身を裏切った男が十年たって、どのような顔でのうのうと生きているのか、それを確かめたいと足立は思っていたのだ。
当日の会場で、足立はひとり、入り口付近のソファに陣取っていた。開演の挨拶もそこそこに、同級生達がビュッフェ式のパーティ会場で会話に華を咲かせる中、彼は通り過ぎる昔のクラスメイトに適当に挨拶をしながら、目的の男を探す為に目を忙しなく動かしている。
随分老け込んだ者もいれば、当時と変わらず学生のような顔立ちで馬鹿のような話で盛り上がる者もいる。しかし女性は誰も彼もが誰なのかわからないほどに変わってしまっているあたりが、恐ろしいものだなと足立は思った。何人かに「久しぶり」と声をかけられたものの、誰だったのか見当もつかないまま返事をしていたのだった。そもそも相手が足立の事を『足立』として理解していたかどうか疑わしい。
『あいつ』が見分けのつかないほど変わっていなければいいがと足立はひとりごちる。何杯目かのグラスワインを一気に呷ると、ふらつきと共に頭を鈍い痛みが襲った。足立はさほど酒に強くない。
「……足立君か?」
ゆえに、自分の名前を呼ぶ声は、一瞬幻聴なのだと思った。十年前よりも声に低い響きが加わったその声は、アルコールのせいなのだと。
声の主が足立の肩を叩いた時、ようやくこれは現実なのだと気づいた彼は、微睡みに落ちる寸前だった目をはっと見開いて、目の前に立つ男を見た。
「あ、え、……神取……?」
「久しぶりだな、足立君。会えてよかった」
顔立ちも声も、時の流れを感じさせる彼のいでたち。しかしまなざしだけは、あの頃のままの男が、足立の目の前に居た。
神取の名は同級生にとって話題の的だった。何しろその若さで一世を風靡する大企業の支社長の座を勝ち取った男である。散々囲まれ質問攻めに合っているようだった。しかし慣れているのか、うまくいなして軽い挨拶だけを返している。
足立はそんな彼の様子をつまらなさそうに眺めている。開けたワインの量がそろそろボトル一本に差し掛かる所だ。酒に強くない彼が飲むにはあまりにも多すぎる。神取がふたたび足立の前にやってきた頃には、足立はすっかり前後不覚になっていた。そんな様子を見た神取は、べつだん呆れた様子という事もなかったが、しかし悪戯っぽくくつくつと笑っていた。
ふわふわと現実感がない頭で足立は思う。なんて情けないのだろう。こんな姿は見られたくなかった。まるでぐずる子供のようだと。
「……ホテルに帰る」
壁に寄りかかりながら何とか立ち上がるが、しかし足どりは覚束ない。まだ歩くことを覚えたばかりの赤ん坊のほうが上手く歩けるだろう。神取はそんな彼の腕を支えるように掴んだ。
「送ろうか」
「うっ……さいなあ。あんたは人気者なんだからさあ、僕っ……俺なんかに構うなよ」
「そんな状態で帰れる訳がないだろう」
「帰れなくてもあんたにはカンケー、ないだろ」
「きみが心配だと言っているんだ」
足立は泣きたくなった。困ったような顔で笑っている神取に申し訳なかったからでも、ましてや神取のやさしさとも言うべき言葉が嬉しかった訳でもない。ただただ自身の惨めさを自覚しながらも、神取の申し出を強く断らない自分がますます情けなかった。とにかく早く去りたかった。その原因を作った相手の手を借りてでも。
そんな足立を見て了承の意図と取ったのか、神取は抱え込むような形で肩を貸し、半ば彼を引きずるようにして会場をともに去っていった。
足立が放り込まれたのは黒のセダンの助手席だった。車は左ハンドルで、シフトレバーには高級外車を示すエンブレムがあしらわれている。足立が今の仕事――しかももう出世は見込めないような――を何年続ければ、このような車が買えるのかなどと、考えたくもなかった。足立には心地のよい座席も不愉快にすら感じていた。自身の宿泊するホテルの名前と住所だけを告げ、それから黙り込んでしまった。
「なぜそんなに機嫌が悪いんだ?楽しい楽しい同窓会じゃないか」
「楽しくなんかない」
手際よくギアを変速しながら語りかける神取に、足立は相変わらず拗ねたままだ。
「なら何故出席を?」
「べつに」
「……やれやれ困ったな。折角の再会だというのに」
大仰にため息をつく神取を睨みつけ、酔いをさますために窓を少し開けた。流れ込んできた心地よい冷えた風を受けると、少しばかり頭が冴えてくる。流れていく夜景に浮かぶネオンの看板が眩しい。足立は気付かなかったが、すっかりあたりは闇に落ちる時刻だった。
「……君はいいよね。何でも持ってる。僕に無いもの全部。地位も名誉も金もある。君に手に入らないものなんてないんだろ」
「そうでもない。手に入らないものの方が多いくらいだ」
「贅沢なヤツ」
ぼんやりと景色を眺めたまま、うわ言のように呟く足立を、神取はミラー越しに見遣る。
「何であんたは高いところまで行けて僕は駄目だったんだ。僕達“似てる”んだろ。それなのに僕は田舎に飛ばされてさ」
足立の目に涙は滲んでいなかったが、この声は今にも泣き出しそうだった。
「警察官になったんだよ。似合わないだろ。でも面白そうだったしうまくやれると思ってた。駄目だった。駄目だったんだよ。本庁から左遷させられた。同僚と揉めてさ。クソみたいな理由だろ?もう多分、出世は見込めないと思う。本庁にすらきっと戻れない。僕はもっと優秀なはずなのに……どうして――」
なぜこんな話をしているのだろう。気が狂いそうだ――。吐き気とともに押し寄せる悔しさが足立の胸をしめつける。「吐きそう。停めて」足立の言葉に軽く頷いて、神取は丁度いい塩梅の路肩へと車を停めた。足立は転がるように車から降りて、そのまま胃の中身をすべて吐き出した。こころの苦しみも一緒にはき出すように。
「なあ、足立君、きみ、私が嫌いだろう」
道路脇でげえげえとやっている足立の背中に神取は言葉を投げかける。葉巻なんぞを取り出して、悠々とした語り口で。足立が素面だったならますます不機嫌になっていたことだろう。だが今の足立には、そんな事を怒る余裕すらない。
どれだけ吐いても足立の吐き気は収まらなかった。酔いのせいだけではない。ただひとつの感情が彼の吐き気を招いていた。ずたずたに破り捨てられたプライドの最後の一欠片。
「……嫌いだったら何なんだよ」
ぐしゃぐしゃになった顔面をスーツの袖口で拭きながら、足立は返事をした。神取は例の悪戯っぽい笑みで足立を見下ろしている。
「別に。構わないのだよ、それで。私はきみのそういう所が好ましいと思っているんだ。あの時からずっと。だからどうか私を嫌い続けて欲しい」
「……はは」
――ああ、神取は。この男ははじめからずっと。足立は身体を強張らせつつも、ひそかに喜んでいた。不思議と笑いさえこみ上げてくる。悲しい筈なのに。
つまりそういう事だった。この男は確かに、悲しいほどに足立に似ていた。この男は昔のままだ。なにもかも、あのまなざしに篭もる諦めさえも。「君なんか大嫌いだ」「あの日からずっと」
神取は葉巻を投げ捨て足立の瞳を覗き込んだ。アルコールと吐瀉物特有の刺激臭にも構わず。そして囁くように言う。その声色はまるで、悪魔の唆しのようだった。
「足立君、『僕』と友達になれる?」
二人は確かに、友人だった。